大判例

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東京地方裁判所 平成9年(タ)521号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

桝田淳二

杉原正芳

大貫裕仁

藤本欣伸

水谷和雄

被告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

坪井節子

木下淳博

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  原告と被告間の長男甲野一郎(昭和六〇年七月六日生)の親権者を原告と定める。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨。

第二  事案の概要

原告と被告は、昭和五九年二月一六日に婚姻した夫婦で、両者の間には長男一郎(昭和六〇年七月六日生)がいる(弁論の全趣旨)。

原告は、被告との離婚を求め、離婚原因として、(1)被告が、原告及び一郎を日本においたままアメリカ合衆国へと移住してしまった行為は「悪意の遺棄」(民法七七〇条一項二号)にあたる、(2)原、被告間の婚姻関係は完全に破綻しているので「婚姻を継続し難い重大な事由」(同項五号)があると主張している。また、長男一郎の親権者については、同人が原告の元で生活しており、同人の意思に照らしても原告を指定するべきであると主張している。

被告は、本案前の主張として、本件訴訟提起時においてアメリカ合衆国に居住しているうえ、すでに同国ニュージャージー州の裁判所に離婚等を請求する訴訟を提起しており、本件訴訟については我が国に国際裁判管轄はないと主張して、訴えの却下を求めるとともに、本案については、離婚に異議はないが、一郎の親権者については原告は親権者として不適格であり、被告がふさわしいと主張している。

第三  本件における主な争点及び争点に関する当事者の主張

一  本件訴訟につき我が国に国際裁判管轄はあるか

(被告の主張)

1 離婚請求訴訟の国際裁判管轄については、原則として被告の住所地を基準に管轄を決すべきであるところ、被告は、昭和五九年から現在に至るまでアメリカ合衆国に居住しており、生活の本拠は同国にある。

また、被告は、アメリカ合衆国において、原告らに対し、離婚等を求める訴訟をすでに提起し、また、一郎の親権を被告に与えるとともに原告が一郎を返す命令に従わないときは罰金を課徴する旨の仮処分が出され、その後、離婚等についての判決も下されている。原告が日本の裁判所に提起した本件訴訟は、アメリカ合衆国の裁判管轄を免れ、仮処分に基づく逮捕と罰金支払を免れる目的でなした不当なものである。

以上によれば、本件訴訟の管轄を日本の裁判所に認めると、その判決がアメリカ合衆国の右判決と齟齬をきたすおそれがあって、国際礼譲(Interna-tional Amity)の法理から妥当ではないし、物件及び証拠の所在、証人の確保の点からしても審理に困難をきたし、適正さ、公平さ、迅速さを欠く。さらに、日本で訴訟を追行するとすれば、被告は頻繁に来日することを余儀なくされ、日本法の管轄法理にも、国際法上の非便宜訴訟地排斥(フォーラム・ノン・コンビニエンス)の法理にもそぐわない。よって、本件訴訟につき我が国に国際裁判管轄はない。

2 原告は、日本に国際裁判管轄が認められる根拠として、被告が原告を遺棄したものであると主張するが、被告が原告を遺棄したのではなく、原告が被告を遺棄したものである。

(原告の主張)

1 国際裁判管轄の有無は民事訴訟法等の理念を参酌しつつ条理によって決すべきである。

2 被告の住所地はアメリカ合衆国ではなく、東京都世田谷区所在の乙川夏子方である。

3 仮に、被告の住所地がアメリカ合衆国であるとしても、被告は、平成九年三月、原告及び一郎とともに日本に帰国したにもかかわらず、原告及び一郎に何らの相談もなく単身アメリカ合衆国へと戻り、原告を遺棄したものである。このような場合、原告の住所地が日本にあるならば、日本の裁判所に管轄権が認められる(最高裁昭和三九年三月二五日大法廷判決・民集一八巻三号四八六頁参照)。

4 また、本件の準拠法は日本法であるから、日本に国際裁判管轄を認めるべきである。

5 アメリカ合衆国の裁判所において原、被告間の離婚等についての判決が下されたことは認めるが、原告は上訴等の手続ととっており、同判決はまだ確定していない。

二  長男一郎の親権者として原告、被告のいずれがふさわしいか

(原告の主張)

一郎は、現在原告及びその母である甲野春子と同居しており、原告の配慮により、教育環境も十分整備されている。これに対し、被告は、一郎の存在を無視するかのような態度をとっており、被告には母親としての自覚、責任感がないことが明らかである。

したがって、一郎の親権者は、原告と定めるのが相当である。

(被告の主張)

争う。従前の原告の行動に照らすと、原告は一郎の親権者としては不適格であり、一郎の親権者は、被告と定めるのが相当である。

第四  当裁判所の判断

一  証拠によれば、以下の事実が認められる。

1  当事者及び生活状況

(一) 原告と被告は、いずれも日本国籍を有する者で、昭和五九年二月一六日、日本国内で婚姻の届け出をし、同年四月から四か月余りパリで生活した後、同年八月からアメリカ合衆国ロサンゼルスにおいて生活を始め、昭和六〇年にニュージャージー州に転居して以後、平成九年三月一七日に原告と長男一郎が日本に帰国するまで同州内において共同生活を営んでいた。(甲三、甲九、乙八、原告本人)

(二) 原告と被告との間には、昭和六〇年七月六日、アメリカ合衆国ニューヨーク市において長男一郎が誕生した。(弁論の全趣旨)

(三) 原告は、ニューヨークにおいて、画家として生計を立てようとしたものの、創作活動による収入は乏しく、また被告はアルバイト程度の仕事を短期間したことはあるが、夫婦の収入だけでは生活していくことができず、原告の母である甲野春子から同人所有の建物の提供を受けたり資金的援助を受けて生活をしていた。原、被告が平成九年三月一七日に帰国するまで居住していたニュージャージー州セダーグローブの家も甲野春子の所有するものである。(甲三、甲九、乙八、原告本人)

2  原告及び一郎の日本帰国とその後の生活状況

(一) 平成九年三月一七日、原告と被告は、一郎とともに、日本へと帰国した。原告は、画家として生計を立てることが困難であること、いつまでの甲野春子から資金的援助を受け続けることはできないことを理由に家族で日本で生活していくことを提案したが、被告はこれを受け入れず、同月三〇日、単身アメリカ合衆国に帰り、それまで居住していたセダーグローブの家に戻り、そこで現在まで生活している。この間、被告は、同年九月に半月ほど、同年一二月から平成一〇年二月にかけて二か月ほど、日本に滞在している。(甲一、甲三、甲九、乙八、原告本人、弁論の全趣旨)

(二) 原告及び一郎は、平成九年三月に日本に帰国して以来、甲野春子とともに、同人の所有する東京都杉並区所在のマンションに居住している。(甲三、甲九、原告本人)

(三) 一郎は、平成一〇年三月、中野区立A小学校を卒業し、同年四月、私立B学園中等部に入学した。現在、一郎は同校二学年に在学中である。

(甲三、甲八、甲九、原告本人、弁論の全趣旨)

(四) 原告は、日本に帰国して以来、甲野春子が営む不動産業の補助をし、同人の経済的援助を受けながら一郎を養育している。(甲三、甲九、原告本人、鑑定の結果)

(五) 一郎は、平成一〇年七月一〇日、後記アメリカ合衆国での裁判のため渡米し、原、被告と家族ぐるみのつきあいをしていた友人宅に身を寄せた。その後、同年八月三〇日から同年九月九日まで一郎はセダーグローブで被告と共に生活したが、両名の共同生活はうまくいかなかった。(甲四、甲九、原告本人、鑑定の結果)

3  アメリカ合衆国における裁判

(一) 平成九年四月、被告は、一郎の保護管理権を求める訴えをアメリカ合衆国ニュージャージー州の裁判に提起した。(弁論の全趣旨)

(二) 被告は、平成九年、原告との離婚及び一郎の親権を求める訴えをアメリカ合衆国ニュージャージー州の裁判所に提起し、平成一一年七月、原告と被告とを離婚し、一郎の親権者を被告とするとの修正判決が下されたが、原告は右判決の取消申立てと上訴の手続をとっており、右判決は確定していない。(乙五の一、二、乙一一の一、二、弁論の全趣旨)

二  以上の事実を前提に、まず争点一(本件訴訟につき我が国に国際裁判管轄はあるか)について判断する。

1 離婚請求訴訟においても、被告の住所は国際裁判管轄の有無を確定するに当たって考慮すべき重要な要素である。しかし、被告が我が国に住所を有しない場合であっても、原告の住所その他の要素から離婚請求と我が国との関連性が認められ、我が国の管轄を肯定すべき場合のあることは、否定し得ないところであり、どのような場合に我が国の管轄を肯定すべきかについては、国際裁判管轄に関する法律の定めがなく、国際的慣習法の成熟も十分とは言い難いため、当事者間の公平や裁判の適正・迅速の理念により条理に従って決定するのが相当である(最高裁平成八年六月二四日第二小法廷判決・民集五〇巻七号一四五頁参照)。

そこで、右に述べた観点から、本件訴訟について我が国に国際裁判管轄を認めるべきか否かを検討することとする。

2 まず、当事者間の公平という観点から見ると、本件における被告の住所はアメリカ合衆国ニュージャージー州にあり、我が国にはない(なお、原告は、被告の住所は同人の母親が済む東京都世田谷区であると主張するが、本件訴訟の訴状副本等がアメリカ合衆国ニュージャージー州に送達され送達が完了していることや関係各証拠からすれば、被告の住所がアメリカ合衆国であることは明らかである。)。また、原、被告は、昭和五九年二月に結婚後、同年八月から平成九年三月に別居するに至るまで一三年間、アメリカ合衆国において婚姻生活を営んできた。さらに、被告は、アメリカ合衆国において、原告との離婚及び一郎の親権を求める訴訟を提起しており、右訴訟の判決も既に下されているところである。

これらの事情は、応訴の際の被告の保護という面からも、本件訴訟につき我が国の管轄を否定する方向にはたらく一事情として考慮する余地はあるというべきである。

しかしながら、本件訴訟においては原告と被告はいずれも日本人であり、原、被告ともその実母は日本に居住しており、被告においては、来日中は母親方に滞在することが可能であるばかりか、現に原告との別居後も二度来日し、半月ないし二か月間にわたり滞在していることなど離婚請求訴訟についてあえて被告の住所地であるアメリカ合衆国で審理を行わなければ被告に著しい不利益が生じるような状況にあるとまではいえない。

一方、原告は平成九年四月から我が国に居住しており、その期間は現在において既に約二年半に及んでいる。そして、原告は、アメリカ合衆国に戻る意思はなく、今後も我が国において生活する見込みである(原告本人)。このように、原告は我が国に強い定着性を有するに至っており、我が国に管轄を認めることによる原告の便宜についても配慮が必要である。

3 次に、裁判の適正迅速という観点からみると、本件訴訟では離婚とともに親権者の指定が争われているところ、そのいずれについても日本法が準拠法となると解されるから(法令一六条、一四条、二一条)、法解釈の適正を確保するという観点からは、我が国の裁判所において審理するのが相当といえる。そして、本件訴訟においては、被告は離婚自体には異議を述べておらず、本件訴訟の実質的争点は、原、被告間の子である一郎の親権の帰属であるところ、一郎は平成九年四月以降現在に至るまで、二年半余りの間、一貫して日本に居住し、現在は都内の私立中学校に通っていることからすると、その親権の帰属の審理及び判断に当たっては、一郎自身及びその生育環境の職権での調査が不可欠であることに照らしても、我が国の裁判所において審理を行うのがより適正迅速な処理に資することは明らかというべきである。

4 また、本件の原告及び被告はいずれも日本国籍を有する者であり、両名の婚姻は我が国の方式によってなされたものである。そうすると、離婚請求訴訟は人の身分関係の得喪に影響を及ぼすものである以上、日本人である原、被告間の離婚請求訴訟については、我が国との関連性が深いことは明らかであるし、前記認定の事実からも明らかなとおり、原、被告夫婦の生活は、アメリカ合衆国で相当長期に及んでいたとはいえ、その経済的基盤は、日本に居住する原告の実母甲野春子に全面的に依存していたことが認められるのであって、その意味での、原、被告夫婦のアメリカ合衆国での生活と我が国との実質的関連性も否定できない。

5 以上1ないし3で検討したところによれば、本件訴訟においては、被告の住所が我が国になく、かつ被告の住所地であるアメリカ合衆国ニュージャージー州においても本件訴訟と競合する訴えが提起され、未だ確定に至ってはいないとはいえ既に判決も下されているところではあるが、被告の応訴の負担の程度、原告及び一郎の生活状況等を考慮すれば、一郎の親権者指定を含む本件離婚請求訴訟について、我が国の国際裁判管轄を肯定しても一方的に被告に不利益を課すとまではいえないし、かえって、本件訴訟の実質的争点である一郎の親権者指定の判断に当たっては、その適正迅速な処理により資するものであることが明らかである。

そうであるとすれば、前記4で認定したような、本件訴訟と我が国との関連性をも考慮すると、本件訴訟については、原告が主張する被告による遺棄の事実の存否にかかわらず、我が国の国際裁判管轄を認めるのが条理にかなうというべきである。

三  次に、原告の離婚請求については、被告も離婚に異議はなく、原告、被告いずれも婚姻関係を継続する意思がないことは明らかで、その他一切の証拠に照らしても、原、被告間の婚姻関係がすでに破綻していることが認められる。そうすると、民法七七〇条一項五号に定める離婚原因があるというべきである。

四  最後に、争点二(長男一郎の親権者として原告、被告のいずれがふさわしいか)について判断する。

前記認定の事実によれば、原告と被告は一郎とともに一二年余りアメリカ合衆国で生活していたが、平成九年三月に帰国して以降は、一郎と原告は現在の住居で甲野春子と三人で生活していること、一方、被告は、原告及び一郎と別れて、アメリカ合衆国で単身で生活しており、途中一郎が渡米し一時的に被告と生活をともにすることはあったものの、被告と原告及び一郎の別居生活の期間は既に二年半余りに及んでいることが明らかである。また、前記認定のとおり、被告は、原告が平成九年三月に今後家族三人で日本で生活していくことを提案したにもかかわらず、日本で生活することができないことを理由として原告及び一郎との別居に踏み切ったものであり、その後アメリカ合衆国内において離婚の裁判を提起し一郎をアメリカ合衆国に戻すことを求めており、当裁判所での審理の際には一切出頭していないことなどからも窺えるように、今後日本で生活する意思があるとは認められないというべきである。そして、鑑定の結果によれば、一郎は、帰国直後こそ、日本語の語学力不足から苦労した面があったものの、現在は通学中の中学校での学校生活にも適応し、日本での生活に自身を持ち、歯科医である叔父の影響もあって、将来は日本の教育を受けて歯科医になることを希望していることが認められる。

そうであるとすれば、一郎がアメリカ合衆国での生活を選択しない以上は、被告による一郎に対する直接の監護養育は期待できないところ、鑑定の結果によれば、現時点では一郎自身日本での生活を継続することを望んでいるというのであるから、右のとおり現在一郎が原告と同居し、一応の安定した生活を送っているという現状のもとでは、原告に親権者としての適格性を欠くような特段の事情が認められない限りは、原告を一郎の親権者に指定するのが相当というべきである。

なお、被告は、一郎は原告にコントロールされていると主張するが、鑑定人による調査の際にも、一郎は、日本で暮らしたいということを明確に述べているし、前記認定のとおり、平成一〇年七月に裁判のため渡米し二か月もアメリカ合衆国で過ごしたにもかかわらず、結局被告との同居生活がうまくいかなかったことからしても、一郎がアメリカ合衆国での生活を望んでいないことは明らかであり、一郎の一四歳という年齢に照らしても、その意思自体は尊重する必要があるというべきである。

そこで、以下、原告の一郎の親権者としての適格性について検討する。

乙第七号証及び原告本人の供述によれば、原告は、平成元年一月二二日、被告に対し、今後一切暴力などは振るわない旨を制約する書面を交付していることが認められ、これと証拠(乙八、鑑定の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、原告自身は否定するものの、原告がアメリカ合衆国での共同生活中に被告及び一郎に対し暴力を振るった事実は、これを認める余地があるというべきである。しかし、家庭裁判所調査官としての経験を有する鑑定人らによる面接及び心理テストの結果によると、原告は、その性格及び行動傾向に照らし、ときには癇癪を起こすような傾向が皆無とは言えないが、病的あるいは性格異常とは認められず、場面によってはかなりの程度まで抑制が可能と認められるし(鑑定の結果)、少なくとも現在の住居地で一郎と同居したこの二年半余りの間に一郎に対し暴力を振るった事実も認められない。また、一方で、原告なりに、本件離婚訴訟により一郎に辛い思いや嫌な思いをさせていることに対し、必要以上とも思われる気遣いを見せていることも事実であるし(鑑定の結果)、原告本人の供述及び弁論の全趣旨によれば、現在では、原告自身も一郎の学校教育に積極的に参加し、一郎との生活を大切にしている様子が看取できる。さらに、前記認定のとおり、現時点では一郎自身も日本での生活の継続を望んでいるところ、一郎としても原告が父親として自分の将来のことを考えてくれていると感じていることも認められる(鑑定の結果)。

以上認定の事実によれば、原告には一郎の親権者としての適格性につきこれを否定するような事情は存しないというべきであり、被告が母親として、一郎の将来を心配し、被告なりに一郎に対する愛情を注いでいるといった事情を考慮してもなお、原告を一郎の親権者と指定することが、一郎の福祉に適うというべきである。

第五  結論

以上によれば、原告の離婚請求は理由があるからこれを認容し、長男一郎の親権者は原告と定めることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西岡清一郎 裁判官金子修 裁判官武藤貴明)

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